2007年
《せかい なるほど いじんでん[3]》
2007年
キャンバス、油絵の具、オイルパステル、自作額縁、参考文献パネル、研究ファイル
233.6×187.3(cm)
東京藝術大学の卒業制作展にて、東京都美術館で発表した作品。日本最大手の新宗教の名誉会長(公明党の設立者でもある)の巨大肖像画。
私の親族の多くはこの宗教の熱心な信者であるが、親族内で私や母を含む数人だけは非信者である。家庭内の宗教対立は、親族の墓や財産の問題をはじめ、様々な箇所に影を落としている。
大学の卒業制作に取り組む4年生になるまで、私はいわゆる「ノンポリ」であったように思う。政治も経済も宗教も全てが他人事であり、しかしながらそんな自分をポジティブな意味での「ふつう」であると考えていた。私はどのような両親に下に生まれたのか。どの様な親族や仲間、街、市、県や国家と関わりながら暮らしているのか。そこにはどのような問題があり、また、どの様な歴史の流れの上に自分が居るのか。長い浪人期間を経て入った大学でも「上手な絵」を描くことにのみ意識を向け続けてしまった私は、ようやく、今ここで絵を描く自分はなぜ存在しているのかという根源的問題意識と対峙した。大学の図書館に何ヶ月もこもり続け、結果的に自分の存在を間接的に表す1枚の肖像画を描くことにした。
異なる宗教を持つ両親はそれぞれに、自分の信仰や倫理観を正義とし、もう一方の対峙する信仰を嫌悪する。この構図は、私にとっては子どもの頃から当たり前の風景であった。その当たり前を、再考することが自分の存在を現すのではないかと考えた。そのため、まずは母には内緒で父方の親族が盲信するこの信仰と、それを取り巻く事情について研究を重ねた(厳密には父自身は信仰心が無い。父もまたノンポリなのである。実際のところ、父の両親や父の家系の殆どが熱心な信者なのである。祖母の家などは地域の「婦人部」の集会場となっていた)。
創価学会やその関連組織の発行する、池田大作氏の肖像写真を約150冊の雑誌や書籍などから約500枚集めた。そしてその後今度は、創価学会を批判する週刊誌(主に週刊新潮や週刊文春、週刊現代など)に掲載された氏の肖像写真も同量集めた。前者の媒体に掲載されている氏の肖像は一部では丁寧に美化された修正が加えられていると言われていて(この頃私は「プロパガンダ写真・肖像画」についての研究も同時に進めていた)、対する後者の媒体にはあたかもくせ者らしい表情の写真ばかりが使われていた。ちなみに当時見た電車の中刷り広告には、同じ車両内に礼賛雑誌と批判雑誌の広告が混在していて、不思議な感覚になったことがある。
どうやらこの信仰は、「折伏」という積極的な勧誘手法によって、片親のみが信仰者であるということはほぼあり得ない様である。結婚と同時に相手も入信するというのが常らしい。それゆえに母は、お見合い結婚で何も知らずに嫁いできて、熱心な勧誘から自分や子どもらを守るのに必死だったのだろう。また、さらに俯瞰して言うならば、私は母の作り出した過剰なその壁によって、父方親族の信仰の実態を知らずに育ったし、なんなら嫌悪感すら持って育った。それがどういうことなのかをこのリサーチ・制作期間に考え続けることとなった。時には、自分の立っている場所が分からなくる感覚にもなり、車酔いのような決して心地のよくは無い時間を過ごし続け、けれどもこれを経てでしか手に入れられ無い視野を手に入れたのだとも思う。
この地球上では、自身の持つ信仰を正義だと信じる人々が二手に分かれて殺し合いを続けている。これまでもこれからもそれは終わらないだろう。
私は、創価学会が発行する池田氏の顔写真(父方の親族=信仰も持つ者、が見ている池田氏)と、週刊誌に載る池田氏の顔写真(母方の親族=信仰を持たぬ者、が見ている池田氏)の両者の写真情報の特徴をミックスさせた。これは、美と醜、良と悪など、両極の情報を内在させた、マスメディアでは見る事のできない、けれどもより実態に迫った肖像画と言える。決してノンポリでは無い中立性とは、両義の事情を内包させることでもある。
制作方法は共産主義国に多く見られる「巨大肖像画」の形式を取り、また、設営においては、天安門広場の毛沢東肖像画の設置方法に習って高い位置から群衆を見下ろす展示方法とした。
週刊誌について。“この巨大肖像画を展覧会内覧会で見て知り、驚いた70代男性”という振りを装って、多くの新聞・雑誌の情報受付窓口にこの作品の情報や写真を送ったところ、「週刊現代」から私宛に取材依頼が来た。記事の80%位は私が語った通り書いてくれているが、残りの20%位は雑誌社側の着色があり不満だ。
卒業制作展の会場では作品の前に人だかりが出来て、笑う人あり、拝む人あり、ヒソヒソ話をし合う人あり…独特な雰囲気となった。これはそうした状況自体も含めての作品なのだろう。
肖像画の下に置かれた台には、氏を礼賛する新聞や書籍から引用した氏の活動歴と、氏を批判する雑誌などでの氏の活動を時間軸順にまとめたものをファイリングした(「研究ファイル」)。驚くことに両者の媒体に書かれている氏の情報には天と地ほどの解離がある。前者は氏が善良な人物としてまるで神格化されて、イメージに傷がつく来歴は消去されている。後者では、犯罪歴やそれに準ずる悪事の疑いを執拗に追っている。一旦、二軸の年表を作り、比べてみるだけでもそれが同じ人物であるとは思えない。そしてそれを統合した単線の年表は、様々に見えてくるものがあった。
我々は自分の理想に合わせた情報のみを選び見たくないものを避け、また我々を管理したい権力側も市民に与える情報をコントロールし続けているのだろう。
私たちは、そうやって自分の信じる正義感を持ち寄って、誰かを敵視したり嘲笑し、時には戦争までもを起こしてきた。
この作品を制作している最中に観た森達也監督の映画「A」には大きな影響を受けた。
メモ:
本作品の美術館展示において、容易く公開規制などされては嫌なので、事前に可能な範囲で面接を受けられる全教官に私の方から会いに行き、これが単なる礼賛のプロパガンダでも、単なる誹謗中傷の風刺でもないという事を伝え、理解を得た。また、池田氏が当時、与党である公明党の創設者である政治的な側面は、充分に公人として見ることができ、氏の肖像写真が公の場で撮られたものを元にすることは、肖像権の侵害が無いということについて。さらにそれらを撮影した写真家の著作権についても、収集した多数の写真を私自身が脳内で合成し、手描きでアウトプットしていることを理由に著作権侵害には当たらない、などの点をはっきりとさせ、了解を得た。そのためか、出展拒否を理由とする大学や美術館側とのトラブルは会期の前後含めて全く無かった。
参考記事 : 『週刊現代』2007/03/17号 (クリックで拡大)