2001年ー
《ただの石(設置例)》2009年、2013年 個人蔵
《ただの石(設置例)》
2009年、2013年
拾った石、展示台(アクリルボックス、木材、LED ライト、配線コードなど)
台座 : 15.0×15.0×53.6(cm)
個人蔵
《ただの石(描写例)》
2009年、2013年
手描き合成
写真、アクリル絵の具、展示台
写真 : 9.0×12.8(cm)/台座 : 15.0×15.0(cm)
個人蔵
【解説】
本作品は、作者が路上で小石を極力無作為に拾い、その場所から風景を写真撮影し、その写真に直接アクリル絵の具で小石を手描き合成する《ただの石(描写例)》(2001年-)と、モチーフとなった石を単に展覧会に展示する(時として石に値段を付け、販売する)《ただの石(設置例)》(2001年-)からなるシリーズ。《ただの石 ( 描写例 )》と《ただの石(設置例)》は、 同じ石ごとで一対になっている。
上記掲載画像は、2009年に新潟県来訪時に採取した石をモチーフ/素材とする。2010年に発表したのち、2013年の展覧会の機会に合わせて、設営方法を変えて再展示した。会場は百貨店の美術画廊であり、同フロアには高級ブランド店が多く並んでいたことから、宝飾品を陳列する展示什器をミニュチュア化して制作。拾った石を中に収め、「無意味」及び「無料」である”ただの石”に値札を付けて展示販売した。
これは、つげ義春 作「無能の人」(1985年)に登場する石売りの男のストーリーにもちなんでいる。貧乏な主人公の男は、"鑑賞石"なる文化や金銭的価値を知ったことから、近所の川に行って石を拾い、それぞれにいかにもらしい題名と値札をつけ、その河川敷に掘っ立て小屋を作って展示販売する。全く売れない日々が続き、ある時冷やかし客が石を展示台から河原に誤って落としてしまう。男は慌てて拾うものの河原の石と販売していた石との判別がつかなくなり、とりあえず目についた石を適当に陳列棚に戻す)。この様子は、錬金術的な価値の変容を端的に表していて(「無能の人」の話の中ではそれがうまくいっていなかったが)、現代美術の売買における価値付けと、アイロニカルな形で繋がると感じた。
百貨店美術画廊に対する私の持つイメージは、日本画の大家の作品や有名な陶芸家の器が高値で販売される場所。そこで、拾ってきた「ただの石」を売った。
実際には展覧会期間中にこのシリーズは複数売れてしまった。
【ステイトメント】
私は4浪したものの東京芸大絵画科油画専攻に入学した。当時、芸大の油画専攻の受験は40倍近い倍率がある難関だった。受験生は必ず美大受験予備校に通う。合格率の高い予備校の中にはスパルタで、詰め込み教育のような所もある。私の通っていた予備校は正にそれだった。夏期講習には自分よりも年の若い芸大に入りたての1年生が、単発のバイト講師として呼ばれて教えることもしばしばあり、予備校時代は鬱屈した気分を味わい続けた。高3からの受験を含む5年間の間に、何度もめげそうになったものの、結果的に晴れて私は芸大生になることができた。
芸大生になった途端に状況は一変した。私は入学してすぐに予備校で講師として指導することになった。生徒には自分の親よりも年上の学生までもが居て、また、予備校の指導方針に沿ったスパルタな教え方によって生徒を泣かしてしまうこともよくあった。給料は抜群に良かった。
しかしながら、大きく変わってゆく自分の境遇のギャップに喜ぶどころか、他者からの扱われ方の大きすぎる変化には段々気分が悪くなっていった。
そんな時期、大学のゼミでは「絵画を考える」という実験的な課題が出され、この《「ただの石」シリーズ》を作った。路上で拾った単なる石を風景写真に描写し、二次元上で価値変容させる。当時Photoshopを学生も徐々に使いはじめるようなデジタル化の過渡期だったと思う。絵画のイリュージョン性を用い、手描き合成によってスケールを変えて描くことは、自身の身の上の変化や価値の問いを表し、また自身を律するために必要な意識だと感じ制作した。
【展示歴】
展示風景 : 「Who By Art Vol.2」2013年、西武渋谷店 美術画廊、東京
「Who By Art Vol.2」2013年、西武池袋本店 アート・ギャラリー、東京
展示風景 : 「東京藝術大学 卒業・修了制作展 内覧会 研究生作品展示」
2010年、東京藝術大学 立体工房、東京
上記5点、2001年 東京藝術大学入学年に制作