2014年
NANJO HOUSE にて
「止まった部屋 動き出した家」展 DM 2014年
「止まった部屋 動き出した家」展 PV 2015年
【個展「止まった部屋 動き出した家」開催概要】
会 期:2014/12/07(日)~12/28(日)
休廊日:毎週水曜日
時 間:14時~20時
会 場:NANJO HOUSE
※アポイント制
【解説】
2011年東日本大震災の直前まで渡辺 篤は自室で深刻な「ひきこもり」をしていた。長く患った鬱、婚約者からの裏切り、大学院を出たばかりの美術家としての不安、全力で取り組んでいたコミュニティからの排除、様々な心理要因が重なった。
自分を傷つけた者たちや社会へのあてつけとして、自分の人生の可能性を捨てようとした。自暴自棄になって、寝たきりになり、カーテンはずっと締め切った。髪の毛はバターを含んだように重くなり、体重も増えた。意思の通い合えない家族とは顔を合わせたくなくて、尿はペットボトルに溜めていった。
介入をせず放置を続けた母。排除を目的とし横暴に措置入院をさせようと計画し始めた父。だんだんと一生の覚悟を背負ってひきこもり続けていたものの、7ヶ月半が経った頃、閃きと共にその終わりは訪れた。
「父にこの先の人生を支配されたくはない!気づいたら自分よりも弱くなっていた母を守らなければ!」
ひきこもりをやめる決意の日、セルフポートレートと部屋を撮影。社会復帰のための第一歩だった。「多くの時間をかけて、僕はこの写真を撮るための役作り、場作りをしたのだ。」そうやって認識をコントロールし、囚われを薄めた。「僕はくさっても表現者なんだ。」2013年春、渡辺 篤は美術家として再起を果たした。
一説には300万人ともいわれる日本のひきこもり。東北の震災では、覚悟のひきこもり達が家と共に多く流された。また一方では、それを機に部屋から出た者も多くいるという。
2014年冬、個展に合わせ、 インターネットを通じ、全国のひきこもり達にアプローチをし、生活する部屋の写真を募集し、会場で公開した。
会場中央では、コンクリート製一畳サイズのハウスが置かれた。造形は津波に流されている家を表す。
ひきこもりの当事者性に再度身を浸すこと、また、ネガティブなだけではない、ひきこもりの「仏教修行的要素」を込めて、 会期中コンクリートの壁に密閉され、住んだ。図らずも、心身の限界に触れるパフォーマンスとなった。金槌とノミを使い、一週間の時間をかけ、自身の意思と力によりそこから出た。
元当事者としてのひきこもり経験とそこからのREBORN、当時直後に起きた東北の震災の地での事例取り込みつつ、インスタレーション、立体作品、映像で空間を構成した。ひきこもりの人達から集めた部屋写真は、渡辺が脱出した後の穴の空いたコンクリートハウス内部で上映した。
会場には美術関係者のみならず、元ひきこもりの人達、そして部屋写真を送ってくれた人も複数訪れた。
「〈繊細〉と〈過剰〉
:世界に対して不感症になれない芸術家の試み」
あらためて渡辺 篤は「繊細な」芸術家だと思う。このことは、彼自身が実際にしばらくひきこもりをしていたという事実を知って抱いた感想ではない。彼が一見引きこもりとは逆方向のベクトルを向いていたかのようにみえる社会批判的な一連の作品を見た時に感じた印象である。
池田 大作の巨大な肖像画《せかい なるほど いじんでん[3]》(2007)、2年間分の自らのはなくそを丸めて金塊の形を作り上げ日銀地下に展示した《アベティはそれをみたことがない》(2007)から始まり、宮下公園や福島原発事故を屏風仕立てに仕上げた《澁谷蒼茶室枯山水屏風》(2013)、《立入禁止屏風》(2014)にいたるまで、ユーモアとアイロニーが交錯したその作品群は、どれもこれも何かが「過剰」な作品なのだが、何が「過剰」なのかと問われると、それは「繊細さ」なのだ。彼の作品に付きまとう黒い笑いは、その「繊細さ」を消そうとする照れ笑いにも感じられる。
現代社会とは、過度な刺激に溢れた世界である。かつて近代都市が形成されつつある時期に、社会学者のジンメルは近代人とはこの神経に対する過剰な刺激から自分の身を守るために不感症になった人間であると考えた。大都市における人工的な秩序、貨幣経済からもたらされる規則的な生活のリズムは、この過剰な刺激から自らの精神を防御するために編み出されたものだというのだ。
ジンメルが描いた時代から100年以上が経ち、都市の背景に隠されていたさまざまな暗部は今ではスマートフォンを通じて手元にもの凄い勢いで流入しつつある。おびただしい数のセックスと死体のイメージがインターネットを占拠し、日常生活では聞いたことがないような罵詈雑言がデジタル環境を埋め尽くしている。21世紀の社会は、ジンメルが指摘したよりもはるかに強烈なカタストロフ的な刺激、一瞬にしてすべての神経系を焼き尽くしてしまうような刺激が世界を多い尽くしている。
ひきこもりから帰還した渡辺 篤は、こうした怪物的に成長した刺激社会に対して不感症になって生きて行くことができない不器用な人間に見える。そして、このことが彼の作品に潜む「繊細さ」と「過剰さ」の不思議な混淆を生んできた。
渡辺 篤の今回のテーマが、「ひきこもり」であると聞いたとき、彼は「不感症者になれない」という病を、自らの意志で選択し直すことを通じて、積極的に表現の武器として再生させようとしているのではないかと感じた。「ひきこもり」を選び直して、世界を把握しようという彼の実験は、率直に言って危険な賭けでもある。こうした試みは社会の中で「うまくやっている」芸術とは徹底的に異なっており、芸術のみならず社会からも追放される可能性があるからだ。
けれども芸術家とは、本来こうした刺激に対して不感症になることができない人種ではなかったか。「ひきこもり」とは一般に考えられているように社会との関係を断って自分の世界に耽溺することではない。その全く逆で、このどうしようもない世界の全身神経的な刺激の中で、それを直接浴び続けることしかできない人々が、自らの身を防衛するために行う最後のサバイバルの技術なのだ。それは、一種の病でもあるが、その一方で特権的に別の仕方で世界を把握する可能性をはらんだ方法論でもある。
渡辺 篤はおそらくその技術を手に入れるために芸術の実践として「ひきこもる」ことを選択したのだ。いずれにしても、今回の展覧会は決して目が離せない壮絶な場になるだろう。渡辺 篤がその賭けに勝つことを信じつつ。
毛利嘉孝 (もうり よしたか)
東京藝術大学准教授。1963年生。京都大学経済学部卒業。ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジでMA及びPhD取得。専門は、社会学、文化研究、メディア論。著書に『ストリートの思想』(NHK出版)、『文化=政治:グローバリゼーション時代の空間の叛乱』(月曜社)、共著に「実践カルチュラル・スタディーズ」(ちくま新書)など。
《せかい なるほど いじんでん [3]》
2007年
《アベティはそれを見たことがない》
2007年
《澁谷蒼茶室枯山水屏風》
2013年
写真 : 井上桂佑
《立入禁止屏風》
2014年
《止まった部屋 動き出した家》2014年(展覧会期前半の様子)
《止まった部屋 動き出した家》2014年(展覧会期後半の様子)
《止まった部屋 動き出した家》
2014年
インスタレーション/パフォーマンス
家型構造物(セメント、木材、インターホン、センサー、ライト、 通気口、電源コード)、半鏡面シート、石群、布団、食料、水など
写真 : 井上桂祐
本展開催前日から渡辺が、自身をコンクリートハウス内部に密閉し居住する。
内部にはセンサーが有り、渡辺が動く(もしくは起きている、生きている) と天井から吊るされた電球が光る。
止まっている(もしくは寝る、死ぬ)と会場全体が暗くなる。
約一週間をかけ、金槌とノミを使って、扉型のコンクリート壁を割って外に出る。
その後、内部ではインターネット上で募集した、ひきこもりの人達の生活しているそれぞれの部屋写真を、
渡辺のパソコンを使いスライドショー上映する。
写真 : 井上桂祐
《ひきこもりの人達から送られてきた部屋写真》(一部作者の写真含む)2014年
《THE WALL》
2014年
渡辺 篤が会期中にひきこもったコンクリート製ハウスのドア型壁の1ピース、専用アクリルケース
個人蔵
写真 : 井上桂祐
「ベルリンの壁」崩壊当時、壁の断片が記念品・土産物として売られた。そのテイストを引用し、本展で渡辺が自力で壊して出てきたコンクリート壁の破片を割り分けて限定数販売。会期中に完売した。
《自分の部屋の扉を切り取る》
2014年
ビデオ
二面、各03分00秒
編集 : 鎌田 昇
写真 : 井上桂佑
渡辺が本展に際し、昔ひきこもりをしていた実家の自室の扉にノコギリで穴を開け、部屋の内から外へと出るパフォーマンスをした記録映像。服装、髪、髭などひきこもり当時の容姿を再現した。映像は [ Inside ] と [ Outside ] に別けて撮影し、会場では貫通させ壁の穴の室内外両面で上映。
《自画像(布団カバー)》
2014年
布団カバー、インクジェット印刷、木枠
制作協力 : 中山由都
写真 : 井上桂佑
渡辺がひきこもりだった頃、その最後の日に撮影したセルフポートレート。当時使っていた布団カバーのひとつを再現して印刷。油彩画用木枠に張っている。
《室内画(枕カバー)》
2014年
枕カバー、インクジェット印刷、枕
制作協力 : 中山由都
写真 : 井上桂佑
渡辺がひきこもりを止めた日に撮影した部屋の写真。寝たきりだったベッド周辺。尿の入ったペットボトルなども写り込む。当時使っていた枕カバーのひとつを再現し、そこに印刷した。
《ポスター(イエロー)》(上)
《ポスター(ピンク)》(下)
2014年
ポスター(デジタルプリント)
2011年2月11日。7ヶ月以上に及んだひきこもりを止める覚悟を決めた日に、”それまでの時間はこの撮影のための役作りだったのだ”と、
認識のコントロールを図った。
《ポスター(イエロー)》は鏡に写る自分を撮影。アンディ・ウォーホルの残した言葉 " in the future everybody will be world famous for fifteen minutes. " からの引用。
《ポスター(ピンク)》は三脚を使い撮影。展覧会DMにも使用した写真。
《止まった部屋 動き出した家 1/10スケール》
2014年
セメント、LEDライト、アクリルボックス、半鏡面シート、木材等
個人蔵
写真 : 井上圭佑
実作品制作におけるマケット。
《入出口》
2014年
扉(渡辺が以前実際に長期間ひきこもっていた部屋の扉)、伸縮性の布
制作協力 : 中山由都
映像作品制作のためノコギリで穴を開け室内から外に出た。展覧会場の入口アーチとして使用。
扉は入口であり出口でもある。
【ひきこもりの人達の部屋写真の募集について】
展覧会場で展示公開する作品として、実際にひきこもりをしている人達から部屋の写真を募集をしました。渡辺のブログにて募集方法に加え、自身のひきこもりの経緯などについて書いています。投稿後1週間で5万件の閲覧がありました。
【「止まった部屋 動き出した家」展 | 主なメディア紹介・批評】
【制作協力】
上竹純哉、宇田川汐里、遠田明音、大塚才樹、梶間浩幸、鎌田 昇、金藤みなみ、酒井貴史、佐久間洸、櫻田夏子、佐藤理絵、柴田智明、杉木公明、杉本百加、高津志津枝、武田 海、谷口可奈、たにせすずか、玉川宗則、中山拓也、中山由都、マキサヲリ、三谷めめ子、宮川ひかる、ミヤビナカムラ、柳川たみ、若榮沙耶、渡辺純人、渡邊悠太
【Special Thanks】
関根正幸、高津志津枝、三宅里奈、渡辺政子
【写真】
井上桂佑
【協力】
NANJO HOUSE、ひきこもりの人達
【オーガナイズ】
佃 義徳