以下の展覧会は終了しました。
<<渡辺篤 展覧会プレスリリース>>
初夏に開催した個展「ヨセナベ展」の以来半年後の個展となります。
ヨセナベ展は名刺代わりのプレゼンテーションとも云える形でした。
本展覧会はその“助走”の次に来る位置づけになり、テーマは<REBORN>、
モチーフは自身の<ひきこもり体験>と、同時期に東北で起きた<津波>となります。
ぜひともご高覧賜りたいと存じます。
どうぞよろしくお願い致します。
渡辺篤個展 止まった部屋 動き出した家
会期:2014年12月7日(sun)~12月28日(sun)
休廊日:毎週水曜日
時間:14時~20時
※本展はアポイント制となります
会場:NANJO HOUSE / 154-0001 東京都世田谷区池尻2-29-2
<予約先(メール)>
<展覧会概要>
2011年東日本大震災の直前まで渡辺篤は自室で ひきこもり をしていた。
その間ほぼ寝たきりでずっとカーテンを締め切っていた。
心病み、一生の覚悟を背負いながら続けていたものの、
6ヶ月でその終わりが訪れ、社会復帰を目指す。
2013年春に美術家として再起を果たした。
自身のひきこもり経験とREBORN、
インターネットでの似た境遇の者達との繋がり、
直後に起きた大津波とそこでの実際の事例も取り込みつつ、
インスタレーション、パフォーマンス、絵画、ビデオ等で空間を構成する。
作家が会期中コンクリート製の一畳サイズのハウスに生き埋めになってそこに住み、
金槌とノミを使い、自身のタイミングで
そこから出る。
※<NANJO HOUSE>は池尻大橋にある住宅街の一戸建て1F、
南條夫妻の運営するオルタナティブスペースです。
「止まった部屋 動き出した家」オーガナイザー:佃義徳
会場/NANJO HOUSE…東急田園都市線 「池尻大橋」駅 東口徒歩5分
●ガソリンスタンド(出光興産池尻給油所/池尻大橋駅東口出てすぐ)
●セブン-イレブン(池尻大橋店)、
●STARBUCKS(インスパイアード バイ スターバックス 池尻2丁目店)と
●そのすぐとなりcoccolare(洋服屋)を
過ぎたところで左折し、緩やかな坂を100m程登ります。
「NANJO HOUSE」にはドアの前に青い看板が有ります。
〈繊細〉と〈過剰〉:
世界に対して不感症に
なれない芸術家の試み
あらためて渡辺篤は〈繊細な〉芸術家だと思う。このことは、彼自身が実際にしばらく引きこもりをしていたという事実を知って抱いた感想ではない。彼が一見引きこもりとは逆方向のベクトルを向いていたかのようにみえる社会批判的な一連の作品を見た時に感じた印象である。
池田大作の巨大な肖像画「せかい なるほど いじんでん[3]」(2007)、2年間分の自らのはなくそを丸めて金塊の形を作り上げ日銀地下に展示した「アベティはそれをみたことがない」(2007)から始まり、宮下公園や福島原発事故を屏風仕立てに仕上げた「澁谷蒼茶室枯山水屏風」(2013)「立入禁止屏風」(2014)にいたるまで、ユーモアとアイロニーが交錯したその作品群は、どれもこれも何かが〈過剰〉な作品なのだが、何が〈過剰〉なのかと問われると、それは〈繊細さ〉なのだ。彼の作品に付きまとう黒い笑いは、その〈繊細さ〉を消そうとする照れ笑いにも感じられる。
現代社会とは、過度な刺激に溢れた世界である。かつて近代都市が形成されつつある時期に、社会学者のジンメルは近代人とはこの神経に対する過剰な刺激から自分の身を守るために不感症になった人間であると考えた。大都市における人工的な秩序、貨幣経済からもたらされる規則的な生活のリズムは、この過剰な刺激から自らの精神を防御するために編み出されたものだというのだ。
ジンメルが描いた時代から100年以上が経ち、都市の背景に隠されていたさまざまな暗部は今ではスマートフォンを通じて手元にもの凄い勢いで流入しつつある。おびただしい数のセックスと死体のイメージがインターネットを占拠し、日常生活では聞いたことがないような罵詈雑言がデジタル環境を埋め尽くしている。21世紀の社会は、ジンメルが指摘したよりもはるかに強烈なカタストロフ的な刺激、一瞬にしてすべての神経系を焼き尽くしてしまうような刺激が世界を多い尽くしている。
◆ ◆
引きこもりから帰還した渡辺篤は、こうした怪物的に成長した刺激社会に対して不感症になって生きて行くことができない不器用な人間に見える。そして、このことが彼の作品に潜む〈繊細さ〉と〈過剰さ〉の不思議な混淆を生んできた。
渡辺篤の今回のテーマが、「引きこもり」であると聞いたとき、彼は「不感症者になれない」という病を、自らの意志で選択し直すことを通じて、積極的に表現の武器として再生させようとしているのではないかと感じた。「引きこもり」を選び直して、世界を把握しようという彼の実験は、率直に言って危険な賭けでもある。こうした試みは社会の中で「うまくやっている」芸術とは徹底的に異なっており、芸術のみならず社会からも追放される可能性があるからだ。
けれども芸術家とは、本来こうした刺激に対して不感症になることができない人種ではなかったか。「引きこもり」とは一般に考えられているように社会との関係を断って自分の世界に耽溺することではない。その全く逆で、このどうしようもない世界の全身神経的な刺激の中で、それを直接浴び続けることしかできない人々が、自らの身を防衛するために行う最後のサバイバルの技術なのだ。それは、一種の病でもあるが、その一方で特権的に別の仕方で世界を把握する可能性をはらんだ方法論でもある。
渡辺篤はおそらくその技術を手に入れるために芸術の実践として「引きこもる」ことを選択したのだ。いずれにしても、今回の展覧会は決して目が離せない壮絶な場になるだろう。渡辺篤がその賭けに勝つことを信じつつ。
毛利 嘉孝(もうり よしたか)
東京藝術大学准教授 1963年生。京都大学経済学部卒業。ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジでMA及びPhD取得。専門は、社会学、文化研究、メディア論。著書に『ストリートの思想』(NHK出版)、『文化=政治:グローバリゼーション時代の空間の叛乱』(月曜社)、共著に「実践カルチュラル・スタディーズ」(ちくま新書)など。
※展覧会場で会期後半に公開する作品として、実際にひきこもりをしている方々から自身の
部屋の様子の写真”を募集をしています。渡辺篤のブログにて、ひきこもりの経緯などに加え、
募集内容について書いています。投稿後一週間で約5万件の閲覧がありました。
ブログ内の記事も合わせてご覧いただけたらと思います。
< special thanks >
上竹純哉
宇田川汐里
遠田明音
大塚才樹
梶間浩幸
鎌田昇
金藤みなみ
酒井貴史
佐久間洸
櫻田夏子
佐藤理絵
柴田智明
杉木公明
杉本百加
高津志津枝
武田海
谷口可奈
たにせすずか
玉川宗則
中山拓也
中山由都
マキサヲリ
三谷めめ子
宮川ひかる
ミヤビナカムラ
柳川たみ
若榮沙耶
渡辺純人
渡邊悠太
(五十音順)
< 撮影 >
井上圭佑
《プロフィール》
渡辺 篤 / WATANABE Atsushi (現代美術家)
…東京藝術大学在学中から自身の体験に基づく傷や囚われとの向き合いを根幹とし、かつ、社会批評性
強き作品を発表してきた。表現媒体は絵画を中心に、インスタレーション・写真・パフォーマンスなど。
テーマは、新興宗教/経済格差/ホームレス/アニマルライツ/ジェンダーなど多岐にわたる。
卒業後、路上生活や引きこもり経験を経て2013年春、活動を再開。以後精力的に発表を続けている。
…自身の制作活動以外では、美術家・会田誠の制作助手を2008年より務め、
2009年には共にMIZUMA&ONE GALLERY(中国 北京)にて長期滞在制作を行った。2012年には
森美術館 会田誠個展「天才でごめんなさい」での制作協力。
《経歴》
《主な展覧会など》
《主な批評・紹介記事》
< 本展のこれまでの主な掲載記事 >