2018年ー
「アイムヒア プロジェクト」写真集出版記念展 "まなざしについて"(高架下スタジオSite-Aギャラリー)第1展示室、会場風景
Photo: Keisuke Inoue
<写真集『I'm here project』について>
写真集『I'm here project』は、現代美術家の渡辺篤が中心となり、国内外で深刻な社会問題となっている孤立の在り方「ひきこもり(※1)」やそれにまつわる問題に対して、新たな当事者発信の形を模索し、当事者の尊重と社会への周知や問いを提示する企画「アイムヒア プロジェクト」によるアートワークである。
2018年夏から3ヶ月間、主にインターネットを通じ、ひきこもり当事者自らが撮影した部屋の写真を募集した(※2)。結果、約40名から合計160枚程(※3)が寄せられた。これらは本来見ることはできない閉ざされた空間の貴重な写真だ。今回これをデザイナーやフォトグラファーらの協力を得て編集作業を行った。
渡辺自身、過去に足掛け3年間の深刻なひきこもりを経験した元当事者である。自分の経験を極力開示し今回の募集を進めた。渡辺の場合のひきこもりは、一生の覚悟で続けていたものの突如その時間を終えることとなり、部屋を出たその日に自身の姿や部屋を写真撮影した。
”ひきこもってしまった永い時間が無駄なものだったとするならば、それを引き受けて再出発していくこともまたとても辛いことだ。けれど、今ここに居る自分や部屋のあり様を撮影する事で、経てしまった永い時間を「写真作品に必要な制作期間」だったという事に変換出来るのではないだろうか” 。
そう認識を切り替え、のちに美術家として社会復帰を果たすこととなる。その時の写真は、今回のプロジェクトのウェブサイト(※4)のアイコンとして使用されている。
人生における心の傷や困窮の時間もまたクリエイティブな価値にする事はきっと可能だ。
「アイムヒア」は、”わたしはここにいる”という意味である。見えない問題を無い事にさせないために。
※1…日本の厚生労働省は「仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6か月以上続けて自宅にひきこもっている状態」と規定しているが、「単一の疾患や障害の概念ではなく、様々な要因が背景になって生じている」のが実態であり、国内だけでも150万人以上居ると言われている。
※2…写真投稿者全ての個人情報を保護し、写真の匿名性を守る事、本人以外からの投稿を受け付けない事、謝礼を払うことなど、極力丁寧な規約の提示や合意形成を心がけた。
※3…一部は2014年に実施した同様企画のものを含む。
※4…「アイムヒアプロジェクト ウェブサイト」https://www.iamhere-project.org/
アイムヒア プロジェクト
2019年
「アイムヒア プロジェクト」による募集で集まった約160枚のひきこもりの部屋写真のうち一部
Photo retouch: Keisuke Inoue
<写真集概要>
写真集「I'm here project」 PV (ver. Ayumi)
2019年
ビデオ (4分18秒)
<展覧会概要>
展覧会名 | 「アイムヒア プロジェクト」写真集出版記念展 "まなざしについて"
会場 | 高架下スタジオSite-Aギャラリー
住所 | 231-0054 横浜市中区黄金町1-6番地先
会期 | 2019年2月16日(土)- 24日(日) ※会期中無休
入場料 | 無料 ※一部有料イベント有り
ウェブサイト | https://www.iamhere-project.org
時間 | 11:00-19:00
主催|アイムヒア プロジェクト (代表 渡辺篤)
助成|アーツコミッション・ヨコハマ
協力|黄金町エリアマネジメントセンター、R16スタジオ
お問合わせ|045-261-5467(黄金町エリアマネジメントセンター)
<会期中イベント>
◎オープニングパーティ/パフォーマンス
日時|2月16日(土)17:00- 21:00 入場無料
※パフォーマンス参加ご希望の方は「カナヅチ」をご持参下さい。石膏ボードを打破し、入場ゲートを作ります。
◎ゲストトーク①
「まなざしの暴力性について〜ひきこもり問題の現場から〜」
日時|2月17日(日)、18:00-(90分程度)
ゲスト:池上正樹氏(ジャーナリスト)、当事者・経験者の方 × 渡辺篤
入場料|1,000円、定員|先着20名
◎ゲストトーク②
「社会包摂と表現について〜新人Hソケリッサ!の場合〜」
日時|2月23日(土)、18:00-(90分程度)
ゲスト:アオキ裕キ氏(ダンサー・振付家) × 渡辺篤
入場料|1,000円、定員|先着20名
◎主催者による「ギャラリートーク」
日時|2月18日(月), 19日(火), 20日(水), 21日(木), 22日(金) いずれも18:00-(30分程度を予定)
解説者:渡辺篤
参加費|一般: 500円、ひきこもり当事者: 無料
…各作品の成り立ちや背景について、プロジェクト代表・渡辺篤が解説します。質疑応答も。 ひきこもり当事者歓迎。
アイムヒア プロジェクト
2019年
「アイムヒア プロジェクト」写真集出版記念展 "まなざしについて"(高架下スタジオSite-Aギャラリー)第1展示室、会場風景
Photo: Keisuke Inoue
アイムヒア プロジェクト
2020年
ベルギーのアートセンターSTUKでの展覧会「ARTEFACT 2020 : ALONE TOGETHER」(2020年2月13日〜3月1日)でのバージョン。
14 Feb - 1 Mar 2020
https://www.artefact-festival.be/en/expo
<ARTIST>
Helmut Stallaerts/ Chloé Op de Beeck/ Meiro Koizumi/ Ante Timmermans/ Hanne Lippard/ Molly Soda/
Tino Sehgal/ Kyoko Scholiers/ Karolina Halatek/ Cécile B. Evans/ Atsushi Watanabe/ Daria Martin/
Liana Finck/ Lauren McCarthy & Kyle McDonald/ Mehtap Baydu/ Pilvi Takala/ Ephameron/
Hans Geyens/ Ief Spincemaille/ Bisser/ Siemen Van Gaubergen
<CURATOR>
Karen Verschooren
2018/11/16-18「R16スタジオ|OPEN STUDIO」にて
…入居しているシェアスタジオでの公開企画。渡辺は「アイムヒア プロジェクト」 インスタレーションのテスト版を展示。
<展覧会ステイトメント>
「まなざしについて」
社会のどこにも居場所が無くなり、自室にひきこもった。学生を終えてすぐのこと。足掛け3年の当事者としてのひきこもりを終え、数年が経ち、最近では社会に居場所を手に入れてしまった自分が居る。
壁がある。壁はそこに両側がある事を示し、双方にとって他者が存在する事を表す。 “ひび割れ/隙間” は、まなざしを他者に向けることをあらわす。
街を歩いていて、日常に”ひび割れ”がうまれることがある。例えば交通事故に遭った者にまなざしを向ける時、人は自分までもがその痛みを負ったように共感し寄り添って助けようともする。死んでいく人を「見届ける」というまなざしもあるし、何もできなくともその人の痛みがこの世にあったという事実を「せめて直視する」という眼差しもあるだろう。しかし、その一方で自分とは違う他者の奇異な状態(肉や骨の飛び出た傷口など)を「覗き見たい」と視覚が欲することも有る。人のまなざしは共感的で優しいものであり、同時に搾取的・暴力的で残酷なものでもあるのだと気づく。
けれどもまなざしは必ずしも”一方通行”ではない。例えば、鉄格子の中に閉ざされた動物もまた、檻越しに人間にまなざしを向けている。まなざしを向ける存在は、まなざしを向けられる存在にもなり得る。
私たちは、傷つけ幻滅させてしまったひきこもり当事者たちからも、まなざしを向けられているのかも知れない。部屋の外の社会で生きる私たちは、ひきこもりからもきっと見られている。暴力的なこの社会は”まだ許されてはいない”から、彼らは今日もひきこもり続けているとも言える。「背を向ける」というまなざしのあり方もそこにはある。
ひきこもりがひとりでにひきこもりになるのではない。社会の中で共に生きてきた私たちのうちの誰かを、私たちは壁の向こうに追いやってしまった。小さなその部屋以外の居場所を奪ってしまった。そのことで幻滅され、背を向けられてしまっているのだ。 そうした反省に至る事も部屋の外に居る私たちにとって、関わりの再出発点に際し準備できることではないだろうか。
不可視の部屋の写真を見る時、私たちは自らの優しくて残酷なまなざしを知る。 まなざしを向けれらている事にも気付くかもしれない。 彼らを変えるのではない。私たちこそが変わらなければならない。
渡辺篤
「アイムヒア プロジェクト」写真集出版記念展 "まなざしについて"オープニングパフォーマンス
2019.02.16(土)17:00-
「アイムヒア プロジェクト」写真集出版記念展 "まなざしについて"(高架下スタジオSite-Aギャラリー)第1展示室入口
Photo: Michiyo Koga
…オープニングパフォーマンス。初日、開場の段階では展示室の入口が石膏ボードを素材とする、扉の形状の壁によって塞がれている。あらかじめ展覧会告知において、携帯をお願いしていたカナヅチを持ってきた来場者約80人らと展示室の入り口扉を叩き壊して内部に入場した。”寄り添いや優しさ”と、”搾取性や暴力性”が「介入する」際の動機として綯い交ぜになって発生する。孤立者を見つめる自らのまなざしに内包される意識について。その自覚や自己批判を誘発する行為としての打破。
社会問題としての孤立は、当事者の存在や言葉も社会から取り残され、不可視化していく。そこには直視することの必要性がある。対して、ジャーナリズムの名の下に孤立者(例えばひきこもり)の姿を、その部屋に無理に押し入って搾取的に撮影する手法(ひきこもりに対する暴力的支援団体が扉を蹴破って当事者の部屋に入り込んだり、施設に軟禁するなどの行為 を)が、倫理的な社会問題ともなっている。我々は社会と断絶することを選ばざるを得ず、孤立した者とどう接近すればいいのだろうか。
参考:「Yahoo!ニュース/出演者みて心が不安定に ひきこもり「自立支援」うたう悪質業者のトラブルに注意(2019年06月06日)加藤順子氏」
参考:「BLOGOS/弱者にスポットライトを浴びせるな(2016年03月26日)赤木智弘氏」
《GAZE_01》
2019年
共同制作:渡辺篤+ひきこもり当事者
写真、強化ガラス、コンクリート
撮影: Keisuke Inoue, 撮影助手: Ryoko Inoue
《GAZE_02》
2019年
共同制作:渡辺篤+ひきこもり当事者
写真、強化ガラス、コンクリート
撮影: Keisuke Inoue, 撮影助手: Ryoko Inoue
《空を見せたい》
2019年
和室シーリングライト、アクリル板、写真
Photo: Keisuke Inoue
…ひきこもり当時の渡辺はカーテンを締め切り、空を見ることは全くなかった。外が快晴であればあるほど、その空の下で人は生産性をあげることができる。ある者は仕事が捗り、ある者はレジャーに出かけ、ある者は愛を育む。青空はその下に居る者にその価値を届ける。だからこそ、部屋にのみ居続けるひきこもり当時の渡辺にとって、空が青々と快晴であればあるほどその幸福を運ぶ強い光と爽やかな色を見るのが辛かった。孤立は辛い。けれど、孤立は孤立を維持し続けなければそれもまた辛いのだ。カーテンを閉じ切った。
ひきこもりの最中、当時見続けていたインターネットのストリーミング配信。一部の一般配信者たちはノートパソコンを持って屋外に出かけ、様々な街の様子を放送し続けていた。それを毎日、起きている間中横になってずっと視聴していた。不思議とノートパソコンに映る屋外の世界には嫌な気がしなかった。媒介/メディアを通した空の色は、部屋の中にこもり続けている者にも、優しく届いたのだった。
和室シーリングライトにはめ込まれている”青色”はアイムヒア プロジェクトでひきこもり当事者に写真募集をしていた期間の快晴だった日に渡辺が撮影した青空の写真。
「アイムヒア プロジェクト」写真集出版記念展 "まなざしについて"(高架下スタジオSite-Aギャラリー)第2展示室、会場風景
Photo: Keisuke Inoue
《七日間の死》
2017年
ビデオ(10 分50 秒)
映像撮影・編集:井上圭佑、撮影補助・石井俊
※期間限定公開中
※低音域の音源によるシーンがあります。ヘッドフォン推奨
7 DAYS OF DEATH
2017 Video (10min. 50sec.)
Video shooting|editing: Keisuke Inoue, Shooting assistant : Takashi Ishii
…1畳サイズのコンクリート造形物に自身を7日間密閉し、定点撮影を行った。心身の危険が伴う過酷なパフォーマンスである。
日本には110万人以上のひきこもりがいる。他にも障害や、それぞれの当事者事情によって生きづらさや孤立感を抱えた不可視の人々がこの社会に共生している。そうした人々の事情を私の心身に一時的に憑依させ、身を持って想像する装置と言える。
私は過去にひきこもりの当事者経験があり、その経験は時が経った今思うと、山岳修行における「擬死再生(一旦死んで生まれ変わること)」や仏教由来の「内観」(※1) にも通じる部分があったとも思える。時として究極的に自己と対峙し永い時の中で大事な気づきを得るための必要な通過儀礼なのかもしれない。サナギのように動かなくなるその時間も価値あるものとして再定義したい。
※1「内観」 : ここでいう内観は、僧侶の吉本伊信(1916-1988年)が浄土真宗系の信仰集団に伝わっていた自己反省法・「身調べ」から苦行色や宗教色を取り除いて、万人向けのものとした修養法を指す。両親をはじめとした身近な人に対する自分を、1週間こもって予め決まった3つの観点に絞って深く反省をする。起床後は「半畳」、就寝時は「一畳」の場所にこもって行う。私は足掛け3年のひきこもりを終えたのちに実際に2度、医療施設で内観を経験した。
「アイムヒア プロジェクト」に寄せて
アイムヒア プロジェクトの代表である渡辺篤は、自身が「ひきこもり」の経験を持つアーティストです。その経験から、「ひきこもり」をテーマに作品制作を始め、今日まで様々な活動を行なっています。
ところで、この「ひきこもり」という事象をどう捉えれば良いのか、まずは、ここから始めてみたいと思います。なぜなら、筆者もこの言葉をよく耳にするとは言え、その実態について把握していないからです。そもそも、疾病の一種なのかどうかも認識していません。
そこで、水先案内人として、精神科の勤務医で、「ひきこもり」の実践的研究者である斎藤環の言葉を借りることにします。斎藤によれば、「ひきこもり」は、診断名でも病名でもない註1)のですが、実際の「ひきこもり」に治療が有効と述べています。それでは、やはり、「ひきこもり」は疾病ではないのか、と言う疑問が残ります。しかも、治療は、まず「ひきこもり」の当事者の話をひたすら聞くことが、治療の鉄則ということでした。考えてみれば、「ひきこもり」は、文字通り「ひきこもり」をして、他者との関係を遮断する訳ですから、普通とは言えないその状態を他者との対話を成立させることで回復させるというのは頷けます。
特定のウィルスに起因する疾病と異なるのは、「ひきこもり」の原因が「ひきこもり」の人の数だけあるということです。そして、その「治療」は、ひきこもりの当事者自身が、その人間関係の再構築を行うことに他なりません。繰り返しになりますが、「ひきこもり」には、他の疾病に比べ物にならないくらいの「症例」が存在し、それは「ひきこもり」の当事者の数だけあるという事を覚えておきたいと思います。
「ひきこもり」についての詳細は、斎藤環をはじめとする専門家に譲るとして、渡辺が、その元当事者として、「ひきこもり」を作品化するようになった経緯について述べてみたいと思います。
この原稿は、渡辺が、ひきこもり当事者に自ら撮影した部屋写真をインターネットで募集し、それをもとに作品集を出版し、同時に組織される展覧会への寄稿です。撮影した写真を募集したのは、渡辺自身が「ひきこもり」から脱出出来た時に、セルフポートレイトと自身がひきこもっていた部屋を撮影したことに拠っています。もう少し説明すると、実は、東京芸大の油画出身の渡辺としては、セルフポートレイトもひきこもっていた部屋も絵画化しようとしたのですが、すでに「ひきこもり」から脱することを決意した直後でもあり、時間のかかる制作作業に対する抵抗が、短時間で対象が得られる三脚を立てカメラで撮影する方法を選択させた訳です。ところで、写真や映像化することと、この場合、絵画化することの違いについて触れておきたいと思います。渡辺の事情同様、絵画化する際には、その対象を克明に観察しなければならない前提があります。人にも拠りますが、自身がひきこもっていた部屋を改めて克明に観察するのは困難を伴います。一方、写真を通して、自身の姿であっても、これが自分かと見紛う経験をするように、写真で写された対象を了解するのは事後的であり、その意味で、写真は他者性を強く感じさせるメディウムと言えます。渡辺は、「ひきこもり」の当事者にその部屋の情報を提供してもらうのに写真を使った事は、それぞれが自ら「ひきこもり」をしていた事態を事後的に改めて認識させることに繋がります。そして、これは、今回の展示が、応募された写真をスペクタルに鑑賞するのではなく、破壊された構造物の亀裂から通して鑑賞する方法にも連動すると思われます。この破壊された構造物は、同時に、「ひきこもり」の当事者を巡る暴力的な事態をも暗示しているのです。
最後に、渡辺自身の言葉を引用しておきます。
「「私」が、隙間から壁の向こうにまなざしを向けるとき、そこに内包される痛みに共感したいという思いがある事に気づくが、また対極的に、無自覚に発生してしまうまなざしの暴力性や搾取性の存在について自覚もする。人のまなざしは優しいものであり、同時に暴力性を帯びたものなのだと気づく。」註2)
註1 「精神分析的アプローチ ひきこもりはなぜ「治る」のか?―」斎藤環、(ちくま文庫)、2012
註2 アイムヒア プロジェクトのブログから引用。(https://www.iamhere-project.org/2018-12-18/?fbclid=IwAR1mPEZJ2vPC_dZdDlBI49VYCB18kSlt9Qm1A5QWz_35bir-2BYMJ2Xxx80)
天野太郎
(横浜市民ギャラリーあざみ野 主席学芸員、札幌国際芸術祭2020 統括ディレクター)
Photo: Keisuke Inoue
Photo Album
2019
Atsushi Watanabe with Mr.T
Installation Video (10min. 50sec.) , video editing: Sakura Himura Text: writer Mr.T
Monument: kintsugi to concrete
”卒業に寄せて
私は中学生の時に受けたいじめをきっかけに不登校になってから、学校に行っていませんでした。
卒業式の日は、職員室に親と一緒に行って先生が拍手をする中で卒業証書を受け取りました。「卒業アルバム」をその時にもらったと思いますが、あの恐ろしい学校と同級生の写真を見るのがこわくて開けませんでした。そして高校もすぐにやめて、十年以上のひきこもり生活になりました。大好きな祖母も亡くなり、心がかわきききっている時、 傷つくとわかっているのに自傷行為のように卒業アルバムを開きました。私の中に、 中学校への憎しみは、 生きたまま新鮮に保存されていました。
そして卒業アルバムを殴りました。 豪華で硬いカバーで、右手の拳が痛かったです。何度も何度も殴り、壁に思い切り叩きつけたら、縦に真っ二つに割れました。そして同級生の写真の目を刺し、破り捨てました。”
“On the eve of graduation”
Because of the bullying I received in junior high school, I started playing truant and stopped going to school.
On graduation day, I went to the staff room with my parents, and the teachers applauded as I accepted my graduation certificate. I remember receiving a graduation album at the time, but because I was afraid to see the photos of that terrible school and my classmates,I never opened it. After that, I quickly dropped out of high school, and for more than 10 years after that, I led the life of a hikikomori.
After my beloved grandmother passed away, when I felt completely alone, and despite knowing that it would hurt, I decided to harm myself anyway by opening my graduation album.
In my heart, my hatred for my junior high school was still alive and strong. And then, I began to hit my graduation album. As it was well made with a hard cover, my right fist hurt. But I hit it again and again, and when I smashed it against the wall with all my might, the album's spine broke in two. And then I used a compass to pierce the eyes of my classmates' photos, tore them up, and threw everything away.
<「アイムヒア プロジェクト」特設サイト>
https://www.iamhere-project.org/
…募集経緯としての渡辺篤のひきこもり経験、写真提供における規約、写真集の通販など
■募集時の概要
<謝辞>
以下の方々、団体のご協力に感謝します(順不同、敬称略)
■写真集製作
■展覧会制作協力(「アイムヒア プロジェクト」写真集出版記念展 "まなざしについて")
■制作協力(R16スタジオ|オープンスタジオ)
■展覧会会場
■助成
■メディア紹介 (詳しくはこちら)